転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1605713830/
1:2020/11/19(木) 00:37:10.88
雲仙・普賢岳噴火から30年
「他社より迫力ある絵(映像)を撮りたい、その功名心が何の落ち度もない市民まで殺してしまった。悔やんでも悔やみきれない」。駆け出しの記者兼アナウンサーとして現地で取材にあたった、長崎文化放送(NCC)の中尾仁(なかお・じん)さん(52)が当時を振り返った。(中略)
市は同日、普賢岳の麓の一部に避難勧告を出したが、報道各社は黙殺して取材を続けた。中尾さんは「行政が大げさに言っているだけ、ぐらいにしか考えていなかった。最初のけが人がやけどで済んだため、『巻き込まれても死なない』という誤った認識を持ってしまった」と打ち明ける。
当時、報道各社は溶岩ドームの先端から約3・5キロにあり、火砕流が下る谷の真正面を「定点」と呼び、撮影拠点にしていた。ここも避難勧告の区域内となり、市や県警は再三にわたって退去を求めたが、聞き入られなかった。中尾さんは「勧告区域内に立ち入るのは、ジャーナリストとして当然の権利だ」と考えていたという。むしろ、「報道の自由を当局が規制しようというのか」と反発さえ感じていた。(中略)
一方、中尾さんは炎上する被災地域へと車を進めた。「迷いは全くなかった。ここで引けば記者失格と思った」。第2波への恐怖心はあったが、「アドレナリンで『血湧き肉躍る状態』。自分も死ぬかもとは考えなかった」。途中で下車し、惨状をリポートして映像に収めた。市街地に戻ると、消防団員に「どこから来たんだ」と驚かれ、誇らしかった。「スクープをものにした。他社はどこも撮れていない」と達成感に満ちていた。
だが、被害の全容が判明するに連れ、気持ちは沈んだ。定点を含む現場では報道関係者16人と同行のタクシー運転手4人に加え、地元の消防団員12人、警察官2人を含む計43人が命を落とした。「自分の行動は正しかったのか」。黒焦げの遺体が次々と安置所に運び込まれる光景を目の当たりにし、自問自答を重ねた。撮影した映像もほとんどオンエアされることはなかったという。
大火砕流は結果的に、避難勧告の区域内で止まった。犠牲になった消防団員たちは一度は退避したが、一部の報道関係者が無人の民家の電源を無断使用する事件があり、見回りのために戻っていた。つまり、報道各社が市の要請に従っていれば、犠牲になることはなかったのだ。「マスコミが住民を殺した」との批判に返す言葉はなかった。
https://this.kiji.is/699542247022167137
マスコミの自腹で
今でも執拗に追い詰めて人殺してるじゃん
どいつもこいつもこんな感じなんだろうな
我ら絶対の正義なり
その辺の意識は今も変わってないよな
下衆を通り越して畜生だよこいつら
ソレじゃまるで自分の身に降り掛かったら責任取るみたいじゃないですか
とはいえ、それを心から悔やんでいるようにはとても見えない内容だけども
それだけ報道陣は現地の人々に恨みを買ってた。
でも一切そのような報道はしない、慰霊祭がありましたと淡々に報道し、
自分達報道陣が地元の方々から今でも許されていないという事実を隠し続けるという卑怯な行為を続けてたんだよなぁ。
記者が命を賭して撮影したスクープ映像!
みたいなカンジの番組で取り扱ってたのが
スゲー面の皮だなぁと思いました
あった
火砕流に巻き込まれて亡くなった記者さんだかカメラマンの最後の映像だよね
ここまでしなきゃならんのか思ったわ
十年にいっぺんくらいごとにこれぞジャーナリスト魂的な番組やってその度にふざけるなってバッシング受けるの繰り返してる感じ
当時の記憶のある国民が許すわけないってのに
マスゴミが危険区域に侵入していたせいで消防士や警察官も犠牲になった
無断で民家に入り込んで電気窃盗したのは日テレだっけ?
一切その後も謝罪なし
>上記の不法侵入・窃盗行為について、2011年6月5日に雲仙市で開かれた『2011雲仙集会』で、日本テレビの谷原和憲・映像取材部長は、「土石流撮影用の無人カメラを設置する為、外に電源があった家から電気を引いた。
>住んでいる人の許可を得ようと断り書きのメモを置き、避難所を探し回ったが、見つけられなかった」と釈明はしたが謝罪はしなかった。
報道とか以前にただの屑だな
これは人殺しと罵るべき
マスゴミ道を突っ走ってる
周りに迷惑かけてる意識がないんだな
納得したわ